
<感覚マヒ>
利用者を、人間として見る目を失ってしまう怖さ。 “人”ではなく、“認知”と置き換えてしまう。最初は“人のため”と志し。⇒“世間と違う常識”⇒最初は小さなほころび⇒徐々に大きくなって感覚がマヒする。タメ口で対話するといった“言葉の乱れ”が最初の段階である。その感覚が高ずれば、“顔に落書き”“排泄シーンを写真にとって披露”、“4人部屋に男女6人布団住まい。さらにトイレはポータブルトイレ1つで囲いなし”などと言った光景も異常と思わなくなり行ってしまう。
<虐待・拘束>
感覚マヒの他、知識と技術がないため、言葉の意味を勘違いし、知らずに行ってしまう怖さ。本人たちは何も悪気がない。これらを予防するために、素人のケアを教育でなくしていく事が必要。そして、“仲良し集団”ではなく、“専門家集団”なのだから、お互いに“おかしい”と思った相手の言動に“それって普通?”と声を掛け合い、確認し合うことが大切。
<普通の感覚”を介護の現場に。>

<介護に求められること>
特別なこと、高度なことではなく、『人間らしい暮らし』が守られるための支援。当たり前の暮らしとは何かを問い続けることが介護の本質。
<介護者に必要な能力>
人に対する興味は“武器”となる。不幸を作り出すために介護がある訳ではないという常識。求められるのは、“想像力”と“創造力”。知識の獲得や技術の向上は必然の過程で目的でない。自分たちの生活支援は、幸福な生活に結びついているか⇒結果を出さない過程は意味がない(結果責任)。

<介護者に求められるもの>
介 ⇒ ここにかける、気にかける、仲立ちをする。
護 ⇒ まもる、かばう、ふせぐ、たすける。
つまり、心にかけて守り助ける⇒尊厳やプライバシーを守るケアパートナー
護 ⇒ まもる、かばう、ふせぐ、たすける。
つまり、心にかけて守り助ける⇒尊厳やプライバシーを守るケアパートナー
以上のテーマを基に、事例等を紹介しながら具体的なケアの知識等を学ぶことができたと共に、私たちが介護の仕事をする上で、間違ってはならない、失ってはならない、大切なことを再確認させて頂けた内容でした。
広報委員 谷 越